どうも、ラモスです。
私は25歳のとき、毎日朝10時前に東京の池袋の会社に出勤していました。
会社に向かう途中に大きい交差点があって、
信号が赤になると100人近い人が青になっているのを待っている。
そこでいつも、空を見上げながら考えていました。
俺の生きる意味ってなんだろう?
病んでいたわけではないです。
仕事は大好きだったしプライベートもとても順調でした。
大学生ぐらいの時からずっとこの問いかけに対する答えを探していました。
けれども、答えは出ないまま時は流れていき。
ある時、空を見上げながら空って青いなあ、とか地球って丸いんだよなーなんて子供みたいなことを考えていたら、
ふとこの質問が頭に思い浮かびました。
地球から見た自分の存在価値は?
答えは、全くありません。存在価値 = 生きる意味のことです。
地球から見た一人の人間の価値って、
私たちからしたら空気中の見えない埃みたいなそういうレベルだと思います。
一人いてもいなくても変わらない。
じゃあじゃあ、
視点を変えて世界の70億人から見た時の自分の存在価値はどうなのか?
これもほとんどありません。
一国の大統領でもない限り、価値はない。
さらに視点を変えて、
社員として働いている会社から見た自分の存在価値は?
自分の存在価値をとても感じる人もいますが、
会社員は歯車の一つなので、どんな人間でも代わりはいるものです。
あるようで大してありません。
ここからさらに自分の近しいところで、
両親や兄妹から見た自分の存在価値は?
存在価値はかなりあると思います。
かけがえのないものですから。
最後に、パートナーや自分の子供から見た自分は?
いなくなったら困る存在ですよね。
存在価値は計り知れないぐらいある。
色々質問を書き連ねましたが、
ここまでの話ってすべて、客観的に自分を見た時にどうなのかっていう話なんです。
地球、世界の人々、会社、家族、パートナーや子供
私はこれまでずっと、生きる意味を自分の外側に探していました。
結構、映画やドラマなどでも自分の生きる意味を探してる主人公とかっていますよね?
俺、私はなんのために生きているんだ?みたいな。
そういう時って、だいたい自分の外側に生きる意味を探している気がします。
ある日、ぼーっと空を見上げながらこれらの質問を考えていたらハッと思ったんです。
どの視点から見るかで自分の存在価値はころころ変わるんだから、
生きる意味は自分で決めてしまえばいいんだ!
と。
今まで自分で生きる意味を決めるっていう発想が全くなかったので、
この結論に辿り着けた時、これだ!と会社への道中で一人で手を叩いてました。
そこから私は、生きる意味を「この世界を楽しむために生まれてきた」と決めました。
これが面白いことに、
一度決めてからこれまで自分の生きる意味を考えたことがありません。
生きる意味って私はなんでもいいと思うし、途中で変えていっても全然いい。
大事なのは、
生きる意味は己で決めてしまえ
ということです。
人生の主役は私たち自身なのだから。
みんなちがって、みんないいんです。
※ちなみに、元パートナーにある時、
自分の生きる意味って考えたことある?って聞いたら、
「えー、そんなの考えたことないー」
って軽く言われた時は衝撃でした。